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2022年12月 演劇情報

2022年12月4日掲載

メキシコ国立大学UNAM2022年秋の舞台から

メキシコシティー南部のUNAM大学都市の一角に大学文化センターCentro Cultural Universitario(CCU)が建設されたのは1970年代だった。それ以降、大学がプロデュースする芝居は同センターのアラルコン劇場とイネス・デ・ラ・クルス劇場で定期的に上演されるようになった。創設当時は公共交通手段が整備されておらず、自家用車を持たない人たちにはアクセスの難しい場所だったが、2005年に、センター脇のインスルヘンテス通りをメトロブスが走るようになって交通事情は格段と良くなった。今では週末には音楽会、芝居、映画を楽しむ家族連れの姿が多く見られる。

今回は、このCCUで2022年秋シーズンに上演されたファミリー向けの『センデバール、賢い女の聖戦』を紹介する。

『センデバール、賢い女の聖戦』(Sendebar: La cruzada de una fémina ilustrada) 

時は中世。男装の主人公エネディーナは『センデバール』という書物を発見する。そこには、女性がいかに危険な生き物であるかが述べられ、男たちの注意を促す教訓話が書かれていた。物語はこの本の発見から始まる。中世の移動劇団を思わせるような舞台セットや衣装に音楽も加わり、楽しい舞台の様子が映像トレイラーから見て取れる。昨今、性差別をめぐる問題が舞台で取り上げられることが少なくないが、より良い社会をつくるためのヒントはハッピーな形式の物語の中にもある。週末の昼にCCUに遊びに来る子どもたちは、こうした芝居を親と一緒に観て、考えたり話し合ったりしながら社会を見る目を培うのだろう。メキシコでは児童劇・青少年劇も頻繁に上演されている。

原作は『センデバールまたは女の虚偽と狡猾の書』(Sendebar o Libro de los Engaños e los Asayamientos de las Mujeres) であると解説されている。13世紀のスペインにアラビア語の東洋説話集として渡り、賢王として知られるアルフォンソ10世が組織したトレドの翻訳所でヘブライ語とスペイン語に訳された古典作品である。由緒正しい古典作品が子どもたちに楽しい物語として届けられる児童演劇界の見識にも驚かされる。UNAMの児童劇は〈お話の荷車〉(Carro de Comedias)というグループが担ってきた。そのほとんどがUNAMで演劇の専門教育を受けたのちにキャリアを積んできたプロの俳優たちである。屋外の移動演劇を実践してすでに20年の実績をもつ。CCUだけでなく、他の州にも巡回公演を実施している。

CCU公演は11月27日まで。土日11:00~。

https://teatrounam.com.mx/teatro/entradasteatro/el-sendebar-la-cruzada-de-una-femina-ilustrada-anterior/

2022年12月4日掲載

国立芸術センターCENART2022年秋の舞台から

メキシコシティーの演劇の拠点のひとつはコヨアカン地区にあるCentro Nacional de Artesである。国立芸術院INBAに帰属する演劇学校、現代舞踊学校、ラ・エスメラルダ美術学校、高等音楽院、映画研修センターの教育施設が集まっている。広い敷地内には屋外劇場を含めれば14の劇場がある。その他に各分野の研究拠点となる研究棟、展覧会場、図書館、稽古場、書店、レストランなどがある。

研究棟には各部門の研究者が集まっているが、そこでの研究成果は随時webページで発表される。演劇関係では「ロドルフォ・ウシグリ演劇研究所」に、先植民地期演劇から現代にいたるまでの研究者が集まっている。ここのデジタルアーカイブからは学べることは多い。https://citru.inba.gob.mx/ 

2022年秋、CENARTではドイツの翻訳劇『憤怒』が上演された。不確かな情報に翻弄される現代社会の不安感を鋭くえぐり出す作品である。

『憤怒』(Furor)

ドイツの劇作家Lutz Hübner とSarah Nemitzの作品Furor(ドイツ語タイトルもスペイン語と同じ)の翻訳上演。メキシコで最も信頼される演出家のひとりであるLuis de Tavira演出。11月24日〜12月4日。Teatro de las Artes

フェイク・ニュース、SNS情報の氾濫、ヘイトスピーチなどに晒される現代社会では、何が正義か、何が真実か、誰にも分からない。価値観の土台が揺らいでいる。『憤怒』はこのことを多面的に問う。La Jornada紙は現代のパラダイムを示す作品であると評している。

あらすじ:市長選挙に立候補している政治家がひとりの若者を車ではねる。若者は一命をとりとめるが、一生車いすの生活を宣告される。事故調査の結果、若者はドラッグを吸引した状態で無理に道を横断したことが判明する。政治家は、若者の、母一人子一人の貧しい家庭に手を差し伸べるべく母親を訪問するが、宅配配達員として働く若い甥がこの場に居合わせる。政治家は処世的、合理的に話をつけようとするが、甥の心は世界に対する不信感、絶望感、憤怒で砕けかかっている。De Taviraは作品が内包する問題をこう列挙する。「危機に晒された正義、真実と“ポスト真実”(真実であると誤認されるもの)の対立、誰を信じればいいのか、SNSは信じられるのか、証言や証拠は真実なのかなのか、社会の仕組みを信じてよいのか、マスコミは政治家に操られているではないか。社会がもとめる真正の真実、ほんとうの正義はどこにあるのか」。2022年を生きる誰もが感じている底なしの不安感を直截的に描く舞台だろうと想像する。劇評を読みながら、久しぶりに「舞台を観てみたい」と思わせられた。

La Jornada 2022/12/25  Carlos Paul 

https://www.jornada.com.mx/notas/2022/11/22/cultura/furor-escenifica-la-pugna-entre-la-realidad-y-la-posverdad-apunta-el-dramaturgo-luis-de-tavira/

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